手には福音書を持っています。キリストの十字架と同じ傷を奇跡的に受けた聖痕が、手足や脇腹に描かれています。聖フランシスコが福音を生き、キリストのように生きたことを示しています。
皆さんは、聖フランシスコにどのようなイメージを持っておられるでしょうか。
聖フランシスコが小鳥にお話したり、狼と仲良くなったりしたお話のイメージでしょうか。
しかし、そのようなイメージは、聖フランシスコの姿の一部でしかありません。
小鳥や狼などすべての被造物を大切に思う心は、神が愛情いっぱいにへりくだり、キリストを通して届けてくださった愛と和解に息吹かれた行動の一つにしか過ぎません。
聖フランシスコは、様々なことの中に、神が愛情いっぱいにへりくだってくださることを、感じ取りました。そこから、驚くべき非常に豊かな生き方が、生じていたのです。
このような聖フランシスコの生き方の特徴を、短い言葉でまとめるのは難しいですが、いくつかの側面をあげます。すべて深く結びついています。
- 回心を生きます(愛情深い神へ立ち戻ります)。
- 福音を生きます。
- 愛に満ちるキリストの貧しさとへりくだりに生かされます。
- いと高くも、へりくだられる神に生かされます。
- 聖霊の働きに生かされます。
- 教会・秘跡におられるキリストを感じ、そのキリストに生かされます。
- 聖母をすべての信者の母・模範とします。
- 祈りのうちに生かされます。
- 深い愛による清らかさと自由に生かされます。
- あらゆるものを兄弟姉妹として大切にします。
- へりくだって奉仕し、働きます。
- 宣教に生き、主による和解を分かち合います。
在世フランシスコ会の会員も、これらの精神を生きますが、在世の身分で生きるという特徴があります。
今日において聖フランシスコの精神にならうとは?
「聖フランシスコの精神にならう」とは、聖フランシスコの言葉どおり、聖フランシスコの行ったとおりに実行するというより、聖フランシスコの心を現代において深く生きることです。
その心の中心には、聖霊においてキリストに結ばれ、神の愛に生かされた姿があります。
たとえば、聖フランシスコの生きた貧しさを、外面的にそのまま生きるとすれば、どうなるでしょう。お金をまったく持たず、使わず、ぼろぼろの服を着て、病気でない限り、乗り物をいっさい使わず、裸足で歩いて旅をすることになります。日本で生活する上では、あまり現実的ではありません。
聖フランシスコの生きた貧しさの根本は、神に深くより頼み、神の愛に深く生かされる歩みです。それは、愛情いっぱいにへりくだるキリストのように生きる歩みでもあります。
このことをよく思い描いて生活するなら、神の愛やキリストの生き方から離れる心の動きに、敏感になります(敵意、争い、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみなど)。神の愛に生かされる上で、妨げとなるものを手放し、へりくだるようになります。
聖フランシスコの精神にならう上で、聖フランシスコ自身が神により頼み、徹底してキリストのように生きようとしたことを思い起こすのは、重要です。
(「入門期のためのテキスト」より転載)
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