復活節の第四主日
復活節の第 4 主日は伝統的に「善き羊飼い主日や良い牧者の主日」として知られています。皆さん、ペットを飼っている方はいますか? 犬、猫、金魚、ウサギ、カメ、馬などのペットを飼っていますか? 私はインドの家では犬と猫を飼っていました。鶏、ウサギ、水牛、牛、子牛もいました。羊をペットとして飼っている方はいますか? かつて、我が家にも羊がいました。
今日の福音書は羊の世話をする良い羊飼いの話です。ペットを飼っている人なら誰でもその気持ちはよくわかります。それは羊飼いが羊の世話をするときに感じるのと同じ気持ちです。今日の福音書でイエス様は「わたしは良い羊飼いである」と言われます。キリストが良い羊飼いなら、羊は誰でしょうか? 私たちは皆羊です。それでは、羊が羊飼いの声を聞き、羊飼いに従うことが義務であるならば、私たちは何をすべきでしょうか? イエス様の声に耳を傾け、良い羊のようにイエス様に従うべきですね。 もしイエス様が良い羊飼いであるなら、私たちも同じように良い羊飼いになるよう求められています。良い羊飼いであるということは、羊を飼わなければならないという意味ではありません。私たちの周りを見渡せば、世話ができる羊がたくさんいるでしょう。 配偶者、子供、両親、祖父母、兄弟姉妹、友人、そして近所の人たち、そして私たちの知らないホームレスの人たちです。これらの人たちは皆、私たちが世話できる羊です。これらの人たちは皆、羊飼いの群れの一員です。私たちは皆、良き羊飼いとなるよう呼びかけられています。
良い羊飼いは何をしますか? イエス様は福音の中で私たちに何を語られていますか? オオカミが来ると羊飼いは逃げるでしょうか? いいえ、羊飼いは羊の番をするためにそこにいます。家族、友人、職場の仲間が問題を抱えて相談に来ると、私たちはそれらを無視して自分の問題を心配する傾向があるのは本当ではないでしょうか。良い羊飼いになるのは簡単な義務ではありません。
今日の第一朗読でペトロは、家を建てる者に捨てられた石が「隅の親石」になったと語ります。ペトロは一度ならず二度ならず三度もイエス様を拒否した人です。状況が厳しくなってくると、ペトロは怖くなって隅の石を拒否してしまいました。しかし、今日の第一朗読で、ペトロは聖霊に満たされてイエス様の救いのメッセージを宣べ伝え始めました。 かつては恐れていたペトロが、今では聖霊の勇気をもって人々にキリストの福音を宣べ伝えています。したがって、教会は伝統的に、イエス様が自分の群れを託した人物として彼を見てきました。
私たちは福音の中で、良い羊飼いとは給料のために働く人ではなく、羊のために自分の命を犠牲にして羊を守る人であることを学びます。そして実際、これこそがキリストが私たちのためにしてくださったことであり、これからもキリストが教会生活の中で私たちのために命を与えてくださることなのです。キリストは神の御言葉を通して私たちに語られるお方であり、秘跡において私たちの中に働くお方です。私たちはいつもキリストの声に耳を傾け、キリストに常に従うように努めましょう。
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