2014年12月25日木曜日

在世フランシスコ会総長よりクリスマスメッセージ




新総長ティボル兄よりクリスマスのメッセージが届きました。

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親愛なる兄弟姉妹のみなさん、私たち皆にとって歓喜の日です。
師父聖フランシスコがことのほか大切にした祝祭です。
祝われるその方ご自身が同時に私たちに贈り物をくださるのです。
それは何にもまして偉大な贈り物です。
私たちすべてにとって歓喜の日です。

主は単純で貧しく謙虚な姿でご自身を現わされました。
私たちが御降誕のこの3つ-単純で貧しく謙遜-のしるしに生きるなら、そのような生き方は全ての人にとって贈り物となります。
なぜなら全ての人を迎える私たちの態度の内にこれらの三つの姿が示され、さらにそのような私たちの態度が他の人々にとっても明白なしるしとなるからです。
神様が単純で貧しく謙遜な者を慈しまれるとは、何と喜ばしい事でしょう!
聖フランシスコの模範に習うことはなんという喜びでしょう!
さあ、喜びの声をあげましょう。

皆様方がこのようなご生誕の喜びを味われますよう、また神様の祝福で満たされる幸せな新年を迎えられますことを国際評議会議長団一同、心よりお祈りいたしております。

皆様方の兄弟であり下僕である
ティボル・カウザー
在世フランシスコ会総長
国際評議会議長団と事務総局

2014年12月7日日曜日

フランシスカン家族協議会からの手紙

親愛なる兄弟姉妹達へ

主があなたがたに平安を賜りますように


 フランシスカン家族総長協議会(CFF)は2012年10月23日に フランシスカン・インターナショナル(FI)の財政状況に関して書簡を送り、皆さんの援助をお願いしました。 今回、もう一度書簡を送りますが、此度は喜ばしい事にFIとその働きについての朗報をお届けする事が出来ます。
 ご存じの様に FI は業務縮小と機構改革を余儀なくされる試練の最中にありました。 その過程で組織運営と財産管理は優先度の高い課題でした。 CFF と FI 運営委員会(IBD)並びに FI 職員の役割と相互関係は慎重に見直され分析されて来ました。 収支計算書の精度と信頼性を向上させる為、月次及び四半期の財務報告書を追加で作成しました。 監査役は何らの物理的困難も無く機構改革期間中の2つの監査を終えました。専門家による内部統制は基金の使い方の妥当性にも及びました。基金は再編され、寄付者の意向に沿って使われているか厳しく精査された点は特記すべきです。借入金は担保提供を免れ、過去の債務は完済しました。試練の期間全般を通して、CFF の最大限の支援と FI 職員の協力を得て、IBD は目覚ましくその職責を果たしました。この結果 FI は2013年の会計年度を終えた時点で負債を完済し、次の2014年の会計年度を十分な繰越金のある状態で迎える事が出来ました。
 財務と運営を厳しく見直していた期間中も FI は人権擁護活動の強化を続け、ニューヨークとジュネーブにおける活動を鋭く展開しました。2013年の優先課題は出生登録と女性・子供の権利、赤貧、国境を越えた人身売買、地雷撤去でした。これらの一つ一つの課題に草の根レベルで取り組むという決定は私達フランシスカン家族にとって決して取るに足らない使命ではありません。世界中で貧しい人達や被抑圧階層と向き合う皆さんの活動が FI を突き動かして国連に訴えかける原動力となっています。FI の活動は人権に根ざしており、全ての人の尊厳と生活向上の持続的発展を支援しようとする運動です。
 もう一つ朗報は FI がフランシスカン家族のJPIC(訳註:正義・平和・被造物保全)と効果的で生産的な関係を樹立した事です。私達フランシスカン家族の6兄弟を代表するフランスカン家族JPIC委員会(ローマⅥ)との了解覚書が調印されました。近い将来 ローマⅥ の仲間は地球環境と環境正義に注力する様になります。他方 FI は普遍的・定期的レビュー(URP)即ち国連加盟国(193ヶ国)全ての国の人権状況を普遍的に審査する枠組として創設された制度に注力します。
 直近では両組織(JPIC と FI)が聖フランシスコの「自然環境保護(エコロジー)の保護聖人」35周年を共同で祝いました。
 2014年は FI が国連の非政府組織(NGO)認定25年を迎える年です。 FI の今日在るは、多くのフランシスカン兄弟姉妹が過去25年間土台を創り構築して下さった働きの直接の賜物です。FI の成功にはこれまで 幾年にも渡って捧げて下さった財政的および精神的支援が欠かせませんでした。これからも FI を信頼して下さり、私達フランシスカンの声を国連に届ける事を信じて疑いません。世界中のフランシスカンが一致して私達の国連への訴えかけを実践し、支えて下さった事を覚えて心から感謝しています。これからも FI を支え、共に働いて下さる事を確信して止みません。


 フランシスカン家族の国連への働きかけと日々の全ての兄弟姉妹達の尊き働き、そして私達の姉妹・母なる地球の保護に神様の御支えがありますように。


2014年11月29日 全フランシスカン諸聖人の祭日に

アマート・ロンコーニの列聖


2014.11.23

写真
 アマート・ロンコーニは1226年、サルデーチョでロンコーニ家のフェリーチェのもとに生まれました。 母はサンタと言いました。
 若くして孤児となり、幼少期を叔父の家で育ちました。 若いうちからアマートは真のフランシスカン精神に基づいた福音的生活を志しました。
 フォルモジーノ山にあった聖フランシスコの小さな信仰共同体を屡々訪れました。 それはモンテグリドルフォ城とモンダイノの間にありました。 アッシジの聖フランシスコはアマートにとって償いと愛の生活の源となりました。
 聖フランシスコの模範に更に近づこうとして、フランシスコの第三会に加入する途を選びました。 アマートは父の遺産の一部として兄ジローラモが与えたオルチアロ山の家で妹キアラと共に住みました。 アマートの家はリミニから伸びてウルビーノを通りローマに至る街道沿いにあり、大勢の疲れた巡礼者の宿となりました。
 アマートは巡礼者を受け容れて休ませ、その宿を、疲れた旅人に憩いを与え貧しい者を支援する家としました。 今日尚、アマートの貧しい人と旅人に仕える愛の精神は続いており、今ではこの団体は高齢者ホームを運営しています。 アマート自身も長い巡礼を行い、ローマへの旅をし、サンチアゴ・デ・デンポステーラには4度詣でました。
 1292年1月10日、1292年1月10日、兄弟アマートは全財産を聖ベネディクトの修道院に寄付しました。それで修道院はアマートの仕事を引き継ぐことができました。
 1292年5月8日、アマートは自室で世を去りました。 1776年3月17日、教皇ピオ6世が彼を列福しました。
 2013年10月9日教皇フランシスコは福者アマートの英雄的徳を認め、2014年11月23日に列聖しました。


2014在世フランシスコ会国際評議会生涯養成プロジェクト (2)

2月の各地兄弟会集会の全国共通生涯養成テーマです。 
日本26聖人2月5日周辺で可能な範囲で実施されることをお願いいたします。

(2) 聖ルイ王とキリスト信者としての公的決意

写真 「ルイ王の正義はなんと偉大だったことか ! 彼の正義は日常的に行われていた。 ルイは訴えを聴くため、そしてとりわけ貧しい者、孤児の声に耳を傾けるために、ずっと床や毛皮の上に座り続けた。ルイは貧しい者、孤児の側に真っ当に正義が行われるように。」
(教皇ボニファチオ8世)

「汝に油を注いでフランス王に聖別したことが主の御心なら、王たるに相応しい資質を具える様に心せよ。 それは即ち、 決して正義から離れない様にする事だ(中略)真実が何か判明する、富んだ者でなく貧者の声をむしろ積極的に聴き続けよ。 そして真実が明らかになったなら、裁きなさい。」
(息子フィリップへの聖ルイの言葉)


①歴史的側面 :「キリス ト信者たる王の模範に挙げられる聖ルイ」

 聖ルイはキリスト教王の責務を力の及ぶ限り完全に果たそうと務めました。
 王の責務を国を良くするだけと限らず、民の霊性向上にも及ぶと考えました。王権の行き過ぎや貴族の専横を抑制し、民が正義の恩恵を享受し公平に扱われる様に意を用いました。 取り分け貧し人達を大切に心に留めました。(会憲22条)
 フランス王国では「平和を創り出す者」。国際舞台では様々な機会を捉えて外国の王達の紛争を調停し、平和の使者たろうと尽力しました。   (会則19条、会憲23条)
国民の習慣を向上させるため、 神への冒涜を厳しく罰し、市街での賭博と売春を禁止しました。


②牧的側面 「公に言い表す」


 聖ルイは当代の政治家の模範です(会憲20条2)。
 聖ルイに倣って多くの在世フランシスカンが政治に身を投じました。トマス・モア(1500年代前半の英国大法官:聖人)、ガルシア・モレノ(1800年代後半のエクアドル大統領)、ジョルジョ•ラピラ(冷戦時代のフィレンツェ市長)、フランク・ノゼック、コンラート・アデナウアー(戦後のドイツ首相)、アルチーデ・デ・ガスペ(戦後のイタリア首相:キリスト教民主主義の創設者)等です。キリスト信者は往々にして政治への関与に拒否反応を示します。 或いは、 キリスト信者を標榜する政治家が教会の立場を擁護する事は殆どありません。 この事について、 会則と会憲は何と言っているでしょうか。


③ルイから今日へ
分かち合いの課題:
― 回心の参考にするため、次の課題から幾つか選んで話し合いましょう ―
 
◆キリストに従う

 イエズスは公生活を通じて公然と語り、 御自身を露わされました。 時にそれは人々には受け入れられず、弟子達にさえ理解されない危険をも顧みず主は語られました。 福音の章句から何を「イエズスが公然と語られた」ことを調べて思い巡らしましょう。


 ◆霊的生活

 私達キリス ト信者は神様から一人ひとり召命を与えられ、 正義と平和の王国の建設に参与するよう招かれています。この召命に関して、今日私たちのやるべきこととはどんなことでしょう?
(それぞれが置かれている環境で、職場で、あるいは政治においての)正義と平和に関する召命によって自分が何に駆り立てられたのか、自分がどう変えられたのか、体験を分かち合いましょう。
 会則15条(そして、会憲12条2、22~23条)を今一度、一緒に読んでみましょう。
自分と違う意見(所属組織や仕事上、政治等)が霊的生活の糧となったのはどんな時でしたか?或いは逆に、 霊的生活からどんな務めに突き動かされましたか?
 
◆世にあって
 キリスト者として私たちを社会的参与に突き動かすものは何でしょう? (その時その時で、或いは社会のその状況に即して)私たちが優先的になすべきことはどのようなことでしょう。それはどうしてそうなのか考えてみましょう。
社会で疎外された人々(搾取、不平等などで)で限界状況な生活している人達の実情を分かっているでしょうか。何に対して私達は怒りを表すべきでしょうか、又受け容れ難い事に直面して抵抗するでしょうか。(会憲19条2)

注) 社会的構造によって力関係ができあがってしまっているところでは、弱い立場から這い上がれないような状況が固定化してしまっています。(北アメリカ、南アメリカなどのケース)。私たちはそのような状況に弱い人たちがおかれている実情を知っているでしょうか? 私たちはこのことを知ったときにどのように弱者に寄り添うことができるのでしょうか? (会憲19条2)このような地域に多くの在世会の兄弟姉妹がいて、生涯をかけて働き、また在世会の国際組織レベルではこのような地域を支援しています。
選挙で投票行動を取る際の判断基準は何でしょうか。更に投票する候補者の男女一人ひとりをどんな観点から吟味するでしょう?


◆養成
 召命の責務を全うしよう とするキリスト信者は『教会の社会教説』を読んで認識を深め、社会的問題(例えば生命倫理について等)に対してなどの態度を決める様に招かれています。どのような方法で私たちはそれを考えるのでしょう?『教会の社会教説』などを読んで。ワークショップや研修会などに参加して。在世フランシスコ会国際評議会のホームページ(http://www.ciofs.org portal )を見てなど。

◆問いをたてる
  2013年6月7日(金) 教皇フランシスコはキリスト信者が政治的態度を表明するよう、勧告して「政治に関わる事はキリスト信者にとって務めです。 キリスト信者は決してピラト役割を演じてはなりません。「責任はない」と手を洗ってはいけないのです。政治に意見しなければなりません。何故なら政治は共通善を追及する愛の行ないの最も高次な段階の一つだからです。」教皇は更に聖トマス・アクィナスの言葉を引用して語ります。  「信徒は政治に参加すべきだ。 …政治は汚れてしまった。 しかし内省してみなさい。 どうして政治が汚れたのか。 なぜならキリスト信者が福音的精神で政治に関わる事を忌避したからだ」この問いに私はどう応えましょうか?


◆第二バチカン公会議をうけて生きる生活
 実際に急を要する問題して、公会議は人間の尊重を強調する。 各自は隣人を例外なしに「もうひとりの自分」と考えなければならず、彼らの存在に心をかけ、彼らが尊厳を持って生きるために必要な手段を考慮しなければならず、貧しいラザロのことを少しも顧みなかった金持ちになってはならない。特に現代においては、われわれ自身がすべての人の隣人となり、出会う全ての人に積極的に奉仕する急務がある。たとえば、すべての人から見捨てられた老人、理由なく軽蔑されている外人労働者、難民、自分が犯したのではない罪のために不当な苦しみを受ける私生児、「これらのわたしの兄弟、しかもいと小さい者のひとりにしたのは、わたしにしたのである」  (マタイ25:40)との主のことばを思い出させて、われわれの心をゆさぶる飢えた人などである。
 特に、あらゆる種類の殺人、集団殺害、堕胎、安楽死、自殺など、全て生命そのものに反すること、傷害、肉体的および精神的拷問、心理的強制など全て人間の尊厳を侵すこと、人間以下の生活条件、不法監禁、流刑、奴隷的使役、売春、女性や子供の人身売買など、全て人間の尊厳に反すること、また労働者を自由と責任のある人間としてではなく、単なる収益の道具として扱うような悪い労働条件など、これらの全てと、これに類することは真に恥ずべきことである。それは文明を毒し、そのような危険を受けるものよりはそのようなことを行う人をけがすのであって、創造主に対するひどい侮辱である。[1]

◆福音を生きる  (マタイ5,1-2,13-16)
 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。[…]  「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。 山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、 あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」


[1]:第二バチカン公会議 『現代世界憲章』“Gaudium et spes”(慶びと希望)§27.

                                                    文責/養成責任者  上野まさみ



















2014年11月8日土曜日

北陸地区より訃報

お知らせ申し上げます。

富山教会助任司祭 フランシスコ会ヴファリーニ・ルイジ神父様が2014年11月4日朝、富山県立中央病院で永眠されました。97歳というご高齢でした。

通夜は11月7日(金) 18時より
告別式は11月8日(土) 11時よりカトリック富山教会において
喪主 フランシスコ会 村上管区長様

司祭生活70年以上のうち、富山教会で40数年を信徒のためにご尽力いただきました。又、在世会兄弟のためも霊的補佐としてご指導いただきました。
神父様のためにお祈りください。

7日午後6時からありましたお通夜には、約200名の方が参列されていまいた。
フランシスコ会の神父様も参列されたおり、ヴファリーニ神父様の遺徳を偲びました。
明日は告別式で、神父様は土葬をずっと望まれれていましたが、許可が下りないために火葬ということになりましたが、きっと天国で私たちのことを微笑みながらご覧になっていると思います。


11月7日
北陸地区長 寺島稠夫