2013年5月10日金曜日

在世フランシスコ会アジアオセアニア地区会議開催

T 平和と善

 2013年5月4日(土)より韓国にて、在世フランシスコ会アジアオセアニア地区の会議が開催されました。ホスト国である韓国在世会の広報よりライブで写真を送ってくださいました。
 今回は残念ながら日本からは参加できませんでしたが、日々情報を発信してくださる韓国在世フランシスコ会の役員のみなさんに感謝いたします。昨日の開会式でしたが、会長始め評議員のみなさんに、日本からは会議の成功と在世会のために祈っておりますとお伝えしました。評議員の方々や前回台湾でご一緒だった各国のメンバーの方々から、日本の不参加を悲しく思う、お祈りをありがとう、皆さんのお祈りによって会議はきっとうまく行きますね、等のメッセージをいただいています。
 皆様にもお祈りをお願いいたします。この会議が御旨のうちに在世フランシスコ会の召命、ミッションへの豊かな実りとなりますように。
 写真はキャプションがありませんが、同時刻に発信して頂きました。本日は主に参加国の自己紹介をプロジェクターを使って行ったようです。

                            国際評議員 上野まさみ
 
 
 
 
 

韓国在世フランシスコ会訪問

      ~創立七十五周年記念行事に参加して~

 2012年10月7日、韓国在世会創立75周年記念祝賀行事に、日本から京会長と2名が参列して参りました。
 隣国の在世会と、このような近しい交わりを持つことは大きな恵みであると感じます。微力ながら遣わされた2人でしたが、常に日本の会員のみなさまの祈りという形での思いを感じながら、兄弟愛に支えられ、また先方も私たち二人とともに日本の会員全員を感じて交わりを持ってくださいました。
  日本在世会の皆様お一人お一人の祈りが、大きな霊的花束となって韓国の兄弟姉妹に届けられ、祝賀記念司教ミサの中で、韓国会長自らが特別な感謝と愛情をもって、韓国語と日本語で書いた日本からの色紙を読み上げて下さり、お捧げする各お祈りの回数が読み上げられる度に、集まった6千人の会員からどよめきに似た歓声と盛大な拍手が送られ喜びを表してくださいました。
 祝賀会の合間には個々の会員が握手やハグをもって挨拶してくださったり、数日後の全国役員との会合でも、心の底から「本当に嬉しい!」「本当にありがとう!」と何度も繰り返され、皆様に感謝を伝えて欲しいという言葉を頂きました。祈りによって、まだ見ぬ日本の兄弟姉妹と韓国の兄弟姉妹同士が時空を超えて聖霊の豊かな交わりのうちに招かれたのでしょう。祈りに長い時間をかけてくださった皆様お一人お一人に大きな恵みと喜びがありますように!関わってくださった全ての方々、韓国語の指導を下さったアントニオ・キム助祭様にもこの場をお借りして深く感謝致します。主が祝福してくださいますように。


韓国在世フランシスコ会創立75周年記念ミサに集う
6千人の在世会員とフランシスカンファミリー
(右下写真も同じ)
この度の韓国との関係は昨年の台湾での養成研修会から始まり、今回も自主参加という形ではありましたが、会長と国際評議員、交流の機会を頂きましたので、式典の前後に、先方のお邪魔にならない範囲で、兄弟会の訪問と、全国評議会との会合をお願い致しました。この訪問が相互の理解と今後の協力関係を築いていくための礎になれば幸いです。
韓国の在世会はカトリック教会全体の躍進的発展と相まって、現在会員数は一万人を超えています。ファミリーとのしっかりした協力体制、組織運営により、会員は毎年増え続けています。会員は自らの回心の生活のみならず、在世会として社会活動にも活発に参加し、社会の中で見える形でキリストを宣べ伝えているということでは、在世会の本来的意味を十分に発揮していると言えるでしょう。一番近い隣国の兄弟会として、わたしたちは小規模ながらも学ぶところが大変多くあります。事前にお互いの国の状況と質問項目を用意し連絡し合いましたが、韓国から頂いた資料(会員数などの統計的かつ多角的分析のデーターや自国在世会の歴史等)に見合う資料が日本側は不十分であることに気づかされ、出発前から学びの大きな恵みを頂きました。規模の違いから、全く同じようにできませんし、することもないのですが、これからの対外的な交わりにおいて、日本在世会をしっかり紹介できるような基本的な内容をまとめて用意しておくことは、私たち会員がアイデンティティーを確認していく上でも、とても重要なことでしょう。

 到着1日目:空港には、元日本で大使館員を務められていたアンドレア兄が日本語の通訳を兼ねて、出迎えてくださいました。宿泊先のOFM修道院では、台湾で知り合い、私たちの滞在と交流の準備してくださった国際評議員オーガスティン兄、全国評議員ボナ姉が迎えてくださり、敷地内の教育会館内にある在世会のオフィスに案内され、夕食にも招かれました。会長は電話でご挨拶下さいました。他の評議員も祝典の会場設営などで大忙しの中、迎えてくださったこと自体が予期せぬことで、申し訳ない気持でした。
 滞在2日目:オーガスティン兄、アンドレア兄が所属するシルベスター兄弟会から生まれた「子兄弟会」、ジャコバ兄弟会の月例会が教育会館でありました。「子」であるのに参加は160名(大きな各地兄弟会にはその下に地区割の兄弟会があります。この区域兄弟会の大きさで20~40人の規模です)。聖堂で教会の祈りに続き、会長の挨拶や伝達事項に続き、一人の具体的な信仰体験の分かち合い、その後4つのグループ(生涯養成1、訪問期1、初期養成2)が別室で養成研修。この養成の状況こそ、今回の韓国訪問の大切な目的の一つでした。完璧ともいえる養成テキスト(全三巻)に養成者用のテキスト(全三巻)が韓国の養成の基となり、志願者は四年かけて勉強し、四年目に有期誓約をたてます。滞在中に肌で感じた会員としての自覚と熱心さは国民性的気質というより、内から溢れる召命への応答そのものでした。養成研修終了後、ホールでチョゴリを着た5人の会員の銀祝のセレモニーがあり、韓国の伝統的お餅やお菓子などで祝いました。続いて、ミサも銀祝祝いのミサで、お祝いされる人たちをとことんお祝いするという、喜びの気持の表し方に非常にイタリア的な明るさを感じました。大きな兄弟会の横の繋がりや交わりがどのようになされるかを知ることも目的の一つでした。毎集会後に発行されるレター(A3裏表)には集会の内容、また出席者、欠席者の統計等も記載され、会の管理運営がしっかりしています。集会においては160名が祈りなどで見事に繋がっていきます。
 特にミサ中の平和の挨拶は時間をかけて皆が移動しながら一人ひとりと兄弟愛を分かち合います。私たちも集会の初めと最後に紹介と挨拶をし、花束を頂きました。修道院のマリア様にお捧げしました。銀祝のミサでは儀式があっただけで、盛大さも、両形態の拝領も、通常の月例集会ミサと同じだそうです。


 滞在2日目:アンドレア兄ご夫婦が早朝迎えにきてくださり、ソウルから車で二時間くらいの会場であるテジョン市に向かいました。途中、ドライブインでの朝食に、奥様のローザ姉がお餅を用意して下さっていました。すでにタウをした兄弟姉妹がバスから降りてきて、殆ど知り合いのいなかった韓国に、大勢の家族がいて皆同じ地を目指して集まっている光景に胸が熱くなりました。確かに、会場である武道館を小型にしたような競技場前の通りは次々に到着するバスに塞がれ、そこから降り立つ人の列は圧巻でした。出迎える係のボランティアもチョゴリにタウの棒がけ。みなが家族として挨拶を交わしていく温かさでした。
月例集会は受付でこの賑わい
会場内には巨大なフランシスコの肖像とサンダミアーノの十字架の垂れ幕が掲げられ、式典の始まりに、カテリナ会長は75周年の日を迎えられたことの恵みに神に感謝し、会場を埋めた会員に対し「サランヘヨ(愛しています)」と力強く呼びかけて感動的な開会宣言となりました。続いてスクリーンにフランシスコの生涯、ファミリーの発展、韓国在世会の歴史が次々と映し出され、言葉がわからない私たちもが見ていても思わず引き込まれてしまうような映像でした。こうして、フランシスコから自分たちまでの歩み、時の中でフランシスコの精神を繋いで来てくださった先人の歩みに深い感謝の念が沸き起こりました。その後、同じ色のTシャツを着た各地区が創立順に紹介されました。
 フランシスコ会の司教様司式のミサは在世会の聖歌隊、会場中の素晴らしい歌声で始まりました。多くのファミリーの司祭修道士シスター方が列席される中、何ヶ月もかけて各地区が用意した大地の実り(各地の産物)と会員全員が参加した聖書全巻の写本の奉納行列、見たことのないような大きなご聖体の聖変化。 75周年を向かえる感激が会場中に満ちました。このミサの中で日本の祈りが紹介されました。そして、午後にはそれぞれの地区、ヤングファミリーが歌、踊り、聖劇、伝統をプロ並みの技量で披露し、見る側も一体になって会場が一つになり、兄弟的交わりが深められていく素晴らしさを体験させて頂きました。
 滞在3日目:全国役員の方々は1日休養日のためフリー。歴史的史跡訪問と打ち合わせ。
 滞在4日目:全国役員との会合。出発の日でありましたので半日、短い時間でしたが、お互いに知り合い、問題点や今後の展望、協力の可能性などを分かち合い、有意義な話し合いをいたしました。この内容は追って、今後の展開の中で何かの形で皆様にお届けしたいと思います。訪問の詳細も韓国訪問記として改めてご報告いたします。
 今回の訪問はフランシスコの祝日と信仰年の始まりのミサに挟まれる時期で、アジアにおける在世会の存在について考える良い機会となりました。来年アジアオセアニア大会が韓国のソウルで行われることもあり、韓国は間違いなくアジアにおいて次世代のリーダーシップを担うに相応しい実力と実績を持った兄弟会です。規模が小さい日本の事情、逆に韓国にはない良さという点を、韓国の会長はじめ評議員が認識されている上で、アジアの将来において日本と良いパートナーシップをもってやっていきましょうということでした。空港まで見送ってくださったオーガスチン国際評議員とは最後にこのような言葉で今回の訪問を締めくくった次第です。先ずはともあれ、顔を合わせて会う、友達になる、そのような段階を経て信頼関係を深めていくということの第一歩になったと思います。限られた役員だけではなく、将来的には一人でも多くの会員が、他国の兄弟姉妹と実際に出会っていけるような交わりに発展しますよう、願っております。
(文責/国際評議員・上野まさみ)

2013年の全国評議会を開催

2月22日(金)14時~24日(日)15時にかけて東京都小金井市の聖霊修道院マリア館において2013年の全国評議会を行いました。
  参加者は全国霊的補佐司祭2名(OFM小高 毅師、OFMconv谷崎新一郎師)と全国7地区の兄弟会会長そして全国常任評議会役員らの15名でした。
  審議は3年間の活動テーマ「キアーラ」~祈りとコミュニケーション~を中心に、京会長、永山副会長、事務長、養成責任者、財務担当者、活性化担当から活動報告がなされ、又2013年の活動計画について活発に協議がなされました。


  主な審議内容としては

 
1,年次報告書の書式変更とその他の書式統一について
2,2012年決算報告、2013年予算
3,活性化のためのメールグループ制作について
4,ブログ制作について
5,在世会員(誓約者)名簿制作について
6,地区養成責任者同士の連絡会について
7,募集・連絡事項
  ①外国語翻訳ができる人を募集
    (地区、各地からの推薦)
  ②日本在世フランシスコ会の歴史をまとめ残すための
    資料集めと詳しい人の推薦
  ③入会・誓約などで使うロウソクについて

 審議終了後は、霊的補佐神父様方によって聖体讃美式、ロザリオ、黙想など霊的指導をいただき、主キリストと聖フランシスコに結ばれた生活について、ゆっくり思う時間をいただきました。そして最後に感謝のミサで終わった有意義な会議でした。

聖クララとキリシタンの伝統

『聖クララとキリシタンの伝統』①

  私が所属する浦上教会には聖クララにつながる歴史がありますので少し紹介したいと思います。
  日本26聖人の殉教1597年2月5日以降にも長崎には10の教会が建っています。
  殉教から6年後の1603年に浦上と広域の信徒を司牧する教会「サンタ・クララ教会」が建ちました。
  実際にはその前から礼拝堂として建っていて、ポルトガル人や日本の信徒の喜捨(きしゃ)で立派な聖堂に出来上がったようです。
 この教会ではイエズス会のアルウァレス神父が主任として司牧しました。しかし迫害の時代とあって1614年には聖堂が閉鎖され、その後聖堂は破壊されました。
 同時に浦上の信徒は潜伏しました。
しかしながら禁教が厳しくなった時代サンタ・クララ教会で雑務をしていた、現在の「如己堂(にょこどう)」が在る所に住んでいた孫右衛門は信仰の逼塞(ひっそく)を恐れて同志を集め、浦上キリシタンの潜伏組織をつくったのです。
 それが
・「帳方(ちょうかた)」:浦上に1人いて、バスチャンごよみによって年間の祝日や教会行事の日を繰り出し、又、祈りや教義を伝承する。
・ 「水方(にずかた)」各郷に1人いて、帳方から伝えられた祝日や祈り、教義を聞役に伝える。洗礼を授けるのは水方の役目。
・ 「聞役(ききやく)」各字に1人いて、一戸一戸の信者を把握していて、水方から伝えられたことを各世帯に流す、です。この潜伏組織が250年後の信徒発見につながったのです。

  浦上の潜伏信徒は8月11日の聖クララの祝日に盆踊りと称して跡地に集まり祭りを通して祈っていました。現在は「クララ祭」と言って、ここでミサを捧げています。今日も18時30分からミサがありました。私も与ってきました。
つまり、サンタ・クララ教会と聖クララの祝日は浦上信徒の「信仰の原点」だったと言えます。この跡地に信徒発見100周年の記念として聖クララの記念碑が建てられました。

長崎市大橋町 浦上川に架かる橋のたもとに建つ
サンタ・クララ教会跡碑の横で毎年記念ミサ
在世会全国評議会 
評議員 深堀範人

 ###########
 『聖クララとキリシタンの伝統』②

 聖クララと浦上のつながりについて書いたもの、喜んで頂いて良かったと思います。
 在世会に入るまでは聖人の名前は知っていましたけど気にしていませんでした。今年の記念日に、サンタ・クララ教会と聖クララはどうつながっているのかが気になり少し調べて見たものです。
 私が調べた書物は「長崎のキリシタン」片岡谷弥吉著、「浦上四番崩れ」片岡弥吉著、「神の家族400年」浦上教会です。
  先に書いたものの中に間違いがありました、「水方(にずかた)」は(みずかた)です。
また一つ追加したいところがあります。「しかしながら禁教が厳しくなった時代サンタ・クララ教会で雑務をしていた」を「しかしながら禁教が厳しくなった時代サンタ・クララ教会で雑務と宣教の手伝いをしていた」にして下さい。

 参考までに
 孫右衛門は最初の帳方で、代々子孫が帳方を務めています。最後は吉蔵で、三番崩れで捕らえられ牢で殉教しています。永井隆と結婚した森山緑さんは吉蔵の曾孫です、永井隆はこの家に下宿したことが切っ掛けで洗礼を受けました。
 もう一つ、8月11日の盆祭りに関連して、「四番崩れ」の中に有りますが、潜伏時代の7代わたる信仰の自由の悲願は、いつのころからか、つぎのうたとなって口ずさまれたという。
   沖に見ゆるはパッパの舟よ
     丸にやの字の帆が見える
 「丸にやの字」はマリアである。サンタ・マリアに、かれらはこの悲願成就を念じつづけた。毎年お盆のころになると、サンタ・クララ教会の跡に集まって盆踊りをした。
サンタ・クララの祝日(バスチャソ暦、陰七月十九日)とサンタ・マリアの御上天の祝日(バスチャン暦、陰七月二十二日)とが、お盆とほぼ時を同じくしていた。キリシタンたちは盆踊りにカムフラージしながら、役人の目をごまかし、サンタ・クララとサンタ・マリアとに祈るのであった。
  サンタ・クララ教会は家野郷川上にあった。このうえない祈りの場所を持つ家野郷は、キリシタンたちのよろこびであった。
   家野はよかよか 昔から善かよ  (家野=よの)
      サンタ・カララの土地じゃもの(クララをカララと誂る)

在世会全国評議会 
評議員 深堀範人

”キアーラ” ~祈りとコミュニケーション~

T 平和と善

 全国の在世フランシスコ会会員のみなさまへ
聖クララの祝日おめでとうございます。

 わたしたちが兄弟姉妹として、師父聖フランシスコとともに、聖クララの霊性に倣うことができることは、なんと幸いなことでしょう。この日を祝う喜びを、ともに分かち合いたいと思います。
 さて、わたしたち日本在世フランシスコ会は昨年創立30周年を迎え、今年の3月に第11期評議会の新しい評議員が選出されました。

  新評議会は5月に第一回常任評議会をもって新たに3年間を開始し、これまでに二度の評議会をもって、在世会の現状、問題点、課題等を確認・検討し、取り組みを開始いたしました。
  三年間の全国のテーマは「”キアーラ” ~祈りとコミュニケーション~」です。養成責任者より、このテーマについてお話しさせて頂きます。
  新評議会で検討された様々な課題や問題点に対し、根本的に共通しているのは「祈りとコミュニケーション」の大切さであるということが話し合われました。そして、この三年間のテーマを、皆様にいつも思い起こして頂けるように「キアーラ」という言葉をキーワードに選びました。キアーラ chiara とはまず第一に聖クララのイタリア語名です。そして、英語のクリアーにあたるこの言葉には「明るい、澄んだ、透明な、正直な、率直な、素直な、明瞭な、はっきりした...」などの意味があります。
キアーラというキーワードで具体的には特に以下の3点を小テーマとして選びました。

①聖体と観想を中心とした生活

 今年10月に始まる信仰年に合わせ、わたしたち在世フランシスコ会会員は聖フランシスコと聖クララの霊性に倣い、聖体と観想を生活の中心において信仰を新たに見つめ、さらに深めていきましょう。聖体と観想は在世における生活の原動力であり、わたしたちがフランシスカンとしての召命を知り、召命を生きて行くための中心です。万事において常に主に寄り頼むこと、そして、へりくだって共に歩んで下さるイエス様、わたしたちを愛のうちに一つに結んでくださるイエス様との親しさを深めていくことによって、一人ひとりが自らの召命をいきいきと生きて行きましょう。生活のいかなる場面でも「わたしが」ではなく「主が」中心におられますように。愛の実践を伴う信仰のために、常に内的な成長を 頂くことができますように!

②情報の「透明性」、 言葉の意味の「明瞭性」 、雰囲気の「明るさ」 

 1)「透明性」:兄弟会の中で、情報が皆に公平な形で共有されることに心を配りましょう。また、特に「お金」に関する透明性に留意しましょう。お金のことはとかく信仰の場に余り持ち出したくないという傾向があるかもしれませんが、寧ろ、この点において、兄弟姉妹に対する愛のゆえに透明性が保たれるよう、在世に生きるわたしたちは招かれています。

 2)「明瞭性」:言葉の意味を考えて丁寧に使いましょう。相手の方に対して明瞭であるように配慮しましょう。自分自身の中でも、同じことが言えます。会則中の言葉やフランシスコの言葉など、「本当にわたしは意味が分かって使っているか」と今一度、問い直してみましょう。 使い慣れることで分かっているつもりの言葉を積み上げても何も変わりませんが、問い直すことで、それらの深い意味を再発見してゆく良い機会になるでしょう。

 3)「明るさ」:兄弟会として、また個人として、「明るさ」に努めましょう。この世的な価値観や、噂や悪口、妬みや怒りというネガティブな感情に対し、特に慎重になりましょう。自分自身と、または兄弟との間に不和が生じそうになった時、”キアーラ”の言葉を思い出してください。そして光である主にいつも立ち戻って行くことができますように。兄弟姉妹間でフランシスカン的な明るさを保ち、神の国を実現していくことができますように。

③コミュニケーション

 聖クララがTELE(遠隔)VISION(視覚)の守護聖人であることに因んで、主における兄弟姉妹たちとの心からの交わりを大切にしていきたいと思います。祈りにおいて、また訪問や通信という具体的に目に見える形でのコミュニケーションに、以下のようなシーンで配慮しましょう。

 1)各地兄弟会の中で 集会に出席できない兄弟姉妹への配慮だけでなく、 疎遠になっている兄弟姉妹と常に連絡をとりましょう。

 2)国際、全国、地区、各地の兄弟会の繋がりが風通し良くなるように、各兄弟会ごとに相互に努力致しましょう。相互の訪問、あいさつや連絡、催物への積極的参加、情報の交換、祈りや分かち合いによって、繋がることへの意識を高くもちましょう。

 3)祈りにおいて、日本の殉教者をはじめ帰天された兄弟姉妹との交わり、聖徒の交わりを大切にしましょう。

 わたしたち日本の在世会員は、個人として、各地兄弟会として、各地区兄弟会として、それぞれの独自のテーマに加えて、上記のテーマを共通のテーマとして3年間ともに歩んで行ければと思います。兄弟的交わりを深めるため、集会や勉強会、黙想会などの折にもこれらのテーマを心に留めて頂ければ、と願っております。また今後、年に3度を目安に「養成レター」を発行することで、より具体的な形で全国の会員がいつも聖霊のうちに一致できるよう微力ながら努めて行きたいと考えております。
 また新評議会では広報担当者が、日本在世フランシスコ会の内外のコミュニケーションが円滑になるよう努めていきます。そして各種の情報を会員同士が共有することができるよう、まず始めに、この全国評議会のブログを立ち上げることになりました。紙媒体と合わせて広く会員の方々にご利用頂けるよう願っております。
  新しい役員が多く、力不足ではありますが、主の御手の中で新評議会が皆様に仕える者となれるよう、今後とも皆様のお祈り、お力添えで支えてくださいますようお願い申し上げます。

2012年8月11日 聖クララの祝日
             
           日本在世フランシスコ会
           全国養成責任者
           上野まさみ

フランシスカンファミリー(FF)代表者会議

フランシスカン家族代表者会において、2012年5月5日、フランシスコ会の伊能神父様による「アッシジのクララの生涯とその霊性」についての講話がありました。

◉アッシジのクララ(1193/4-1253.8.11)の生涯

 私たちは聖クララに対して優しい静かなイメージを持っていますが、実は彼女は生涯を通して戦う女性だったのです。
1202年アッシジにおける階級闘争が勃発し、ペルージアでの亡命生活を余儀なくされました。
1211/12年受難の主日→世俗を出ました。(フランシスコを中心にした兄弟達と同じ生活)
クララはフランシスコの霊性を遵守するために、たとえ教皇といえども断固たる態度を貫きました。これはフランシスコがクララに書き送った最後の望みの中の「このいと聖なる生活と貧しさのうちに常に生きてください」と願い、勧めます。どんな人の教えや勧めがあっても、決してこれから永久にそれてしまうことのないよう、厳重に警戒してください。」とあることでも分かります。
又、フランシスコがクララに当てた文書では「私と私の兄弟たちは、あなた方について、あたかも自分自身についてするかのように、いつも細やかな配慮と特別な世話をします。」と書かれています。そして生活するうえでクララは兄弟エリア一番信頼していました。
1253年8月9日クララの会律(女性で最初に書かれた会律。その中にはフランシスコの言葉がそのまま引用されている)教皇インノケンティウス4世によって承認されました。
1255年のクララの列聖。「おとめ聖クララの伝記」でもクララの会律には触れていません。1263年教皇ウルバノス4世が会則を作成し、クララの会律を壊しましたが、その後復活し現在に至っています。
 小さき兄弟会の活動的生活に対してクララ会は修道院の中で祈りの生活と生活の仕方は違いますが生活規範は一致しております。すなわち主イエス・キリストの聖福音を守ること、相互の愛の一致を保つこと、イエスと聖母の清貧と謙遜を守ることです。
クララ会が死んでしまえば第1会も死ぬということです。

◉クララの霊性

●「鏡」
 「キリストは永遠の栄光の輝き、不滅の光の煌めき、また曇りない鏡なのですから。あなたはこの鏡の中で、ご自分の顔をじっくりとご覧下さい。」
鏡の始まりはキリストの降誕の謙遜と貧しさ。鏡の真ん中はキリストの公生活。鏡の終わりは十字架上の死の苦しみと主の愛。キリストの生涯を通して福音に従う生活を貫いています。そこには栄光、名誉、輝きとは無縁の苦しみがありました。人々の無理解によって受ける苦しみ、フランシスコも同様に苦しみました。キリストの苦しみと自分の苦しみとを重ね合わせています。しかしその苦しみを通らなければ喜びはありません。クララには復活の記述はありません。

●「しもべ」
 当時の女子修道院の院長は大きな権力を持ち、あたかも司教のような存在ですらあったようですが、クララは修道院長になることを頑なに拒みました。しかし師父フランシスコの切なる勧めによって任を引き受けましたが、彼女はどんな手伝いの仕事もいといませんでした。姉妹が手を洗うときには水を注ぎ。動けず腰掛けたままの姉妹には進んで近づき、食卓についている姉妹には給仕しました。外の用事を済ませて修道院に戻って来た外務の姉妹の足を洗い終わると、その足に接吻していました。

  常にトップになる者は一番下に来なくてはなりません。
     その為には相互の愛が必要です。

 (文責・京紀子/ 全国会長)