フランシスカン家族代表者会において、2012年5月5日、フランシスコ会の伊能神父様による「アッシジのクララの生涯とその霊性」についての講話がありました。
◉アッシジのクララ(1193/4-1253.8.11)の生涯
私たちは聖クララに対して優しい静かなイメージを持っていますが、実は彼女は生涯を通して戦う女性だったのです。
1202年アッシジにおける階級闘争が勃発し、ペルージアでの亡命生活を余儀なくされました。
1211/12年受難の主日→世俗を出ました。(フランシスコを中心にした兄弟達と同じ生活)
クララはフランシスコの霊性を遵守するために、たとえ教皇といえども断固たる態度を貫きました。これはフランシスコがクララに書き送った最後の望みの中の「このいと聖なる生活と貧しさのうちに常に生きてください」と願い、勧めます。どんな人の教えや勧めがあっても、決してこれから永久にそれてしまうことのないよう、厳重に警戒してください。」とあることでも分かります。
又、フランシスコがクララに当てた文書では「私と私の兄弟たちは、あなた方について、あたかも自分自身についてするかのように、いつも細やかな配慮と特別な世話をします。」と書かれています。そして生活するうえでクララは兄弟エリア一番信頼していました。
1253年8月9日クララの会律(女性で最初に書かれた会律。その中にはフランシスコの言葉がそのまま引用されている)教皇インノケンティウス4世によって承認されました。
1255年のクララの列聖。「おとめ聖クララの伝記」でもクララの会律には触れていません。1263年教皇ウルバノス4世が会則を作成し、クララの会律を壊しましたが、その後復活し現在に至っています。
小さき兄弟会の活動的生活に対してクララ会は修道院の中で祈りの生活と生活の仕方は違いますが生活規範は一致しております。すなわち主イエス・キリストの聖福音を守ること、相互の愛の一致を保つこと、イエスと聖母の清貧と謙遜を守ることです。
クララ会が死んでしまえば第1会も死ぬということです。
◉クララの霊性
●「鏡」
「キリストは永遠の栄光の輝き、不滅の光の煌めき、また曇りない鏡なのですから。あなたはこの鏡の中で、ご自分の顔をじっくりとご覧下さい。」
鏡の始まりはキリストの降誕の謙遜と貧しさ。鏡の真ん中はキリストの公生活。鏡の終わりは十字架上の死の苦しみと主の愛。キリストの生涯を通して福音に従う生活を貫いています。そこには栄光、名誉、輝きとは無縁の苦しみがありました。人々の無理解によって受ける苦しみ、フランシスコも同様に苦しみました。キリストの苦しみと自分の苦しみとを重ね合わせています。しかしその苦しみを通らなければ喜びはありません。クララには復活の記述はありません。
●「しもべ」
当時の女子修道院の院長は大きな権力を持ち、あたかも司教のような存在ですらあったようですが、クララは修道院長になることを頑なに拒みました。しかし師父フランシスコの切なる勧めによって任を引き受けましたが、彼女はどんな手伝いの仕事もいといませんでした。姉妹が手を洗うときには水を注ぎ。動けず腰掛けたままの姉妹には進んで近づき、食卓についている姉妹には給仕しました。外の用事を済ませて修道院に戻って来た外務の姉妹の足を洗い終わると、その足に接吻していました。
常にトップになる者は一番下に来なくてはなりません。
その為には相互の愛が必要です。
(文責・京紀子/ 全国会長)
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