2017年4月23日日曜日

アジア・オセアニア会議の模様 「総長挨拶」


 第5回在世会アジア・オセアニア会議は、開会ミサに引き続いて在世フランシスコ会総長からの開会挨拶がありました。



 挨拶の内容を要約しますと、


 「在世会会員として現代を生きることは決して易しいことではありますせんが、反面、在世会員であることには非常恵まれた特権もある。そのことを再認識して、今回の会議が実り豊かになりますように願っています。

 在世フランシスコ会会員であることを改めて考えてみると、

① 在世にあること
 在世に生きることは、当然、家族、職業、社会生活といった者に責任や関わりを持つことになる。しかし、それは、それぞれが置かれた多様性の中で、それぞれの国、それぞれの兄弟会、それぞれの個人に、神は、固有の計画を与えているということである。その恵みを認識することが大切である。

② フランシスカンであること
 フランシスカンであることは、フランシスコにならってキリストを生きることある。単に知識として学ぶことではなく、実際に生きなければ意味がない。人々の中でいかにお互いに愛し合って生きるか、それが課題である。

③ 会(order)の一員であること
 単にフランシスコが好きなだけではなく、在世フランシスコ会という会の一員であることの意味を考えて下さい。愛は、決して論理的なものではなく、非常に具体的に兄弟姉妹に関わっていくことです。このことは、在世会員は、単なる霊的交わりだけではなく、会に対する組織的責任もあることになります。
 これらのことを改めてきちんと会員が認識するために重要なのが、
(ⅰ)まず養成です。会員の養成は、教育やトレーニングではありません。養成(= formation)の言葉通りの意味に注目すると、それは、form、すなわち「形に作る」ことです。つまり、一人一人の会員が、「キリストの形に作られること」こそ養成でなければなりません。
 次に大事なのが、
(ⅱ) コミュニケーションです。ふたたびコミュニケーション(communicatio)という言葉のもとの意味に注目しましょう。コミュニケーションとは、common (「共通なもの」)を見付け、分かち合うことです。
 そして、
(ⅲ)正義と平和です。平和とは、単に戦うのを辞めることではありません。愛し合い、一緒に仲良く暮らすことでなければなりません。被造物との関わりにおいても,単に自然環境を保護するのではなく、小さな石、水のひとしずくにも神の愛が宿っていることを意識して大切にすることです。
 ここに集まった多くの皆さんは、それぞれの国の会長(minister)の方も多いと思いますが、ご存じのようにministerとは、servantと同様に、語源的には「仕える者」です。それぞれの国の兄弟姉妹に仕えて下さい。でも同時に、リーダーシップも発揮して、始めに上を見て、次にまわりの兄弟姉妹を見て、神のご意志を見つけて下さい。


   在世フランシスコ会総長 ティボール・カウザー


                                            レポート(翻訳)竹田 文彦


写真は、総長のティボール・カウザー(ハンガリー)、手前の女性は、副総長のチェリート(ベネゼエラ)

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